高校時代のすべて※書きかけです。
三年間、いじめの日々だった
入学式翌日から、クラスメイト全員によるいじめ
わたしが通ったのは、近所では中堅レベルの進学校でした。偏差値はあまり高くありませんが、卒業後の進路が多岐で、国公立大学に現役合格する人もいれば、私立大学に行く人、短大や専門学校に行く人、就職する人など、沢山いました。わたしはこの高校に、同じ中学校から女子ひとりで入学しました。同じ中学校からはもうひとり、男子が入学しているのですが、彼についてはまた後に書くことにします。
実を言えば、自分の家の近くに進学校はありました。手に職が付けられる職業高校もありました。だけれども、それらの学校に行きたくありませんでした。工業や商業と言った職業高校だと、沢山の資格が取れるし、手に職もつきますが、卒業後の進路がおのずと狭まりそうな気がしたので、普通科の学校に絞って探していました。現在はどうかわかりませんが、進学校の方は、当時は勉強漬けの校風でした。元旦から大晦日まで休みなく勉強をさせられるという噂があり、それだと遊んだり、絵を描いたりする時間がなくなるように思いました。本当は、その学校こそがどの進路でも対応できる学校であったにもかかわらず。15歳の自分は、勉強漬けから逃げて、甘い汁を吸うことを選んでしまったのです。入試の前日は、参考書ではなく、漫画を読んでいました。それでも合格できるような学校でした。
入試のとき、学校の敷地にゴミひとつ落ちていなかったこと、他の受験生がみんな真面目そうだったことに驚いてしまいました。意外と、高校生活は上手く行くのではないかと、心の中で思い、友達に囲まれた高校生活を思い浮かべました。だからでしょう。入試の問題は、思っていたよりもすんなりと解けました。
合格発表の数日後、合格者を集めたオリエンテーションがありました。その時、隣の席に座っていたのが、Mという女子でした。このMも、同じ中学校から女子ひとりでした。外見はおとなしそうで、悪い人には見えなかったこともあり、すぐに友達になりました。このとき、Mとはお互いに「同じクラスになれるといいね」と言いながら、別れました。
それから三週間後、入学式がありました。Mとは違うクラスになりました。自分のクラスは、女子が若干多いクラスです。見た感じでは悪そうな人はおらず、安心しましたが、同じ中学校から来たもの同士が多く、中学校からひとりなのは自分くらいでした。その時点で既に、友達関係は出来上がっていました。
入学式の次の日、自分と同じように、ひとりで食べている女子を見かけ、その子に声を掛けました。しかし、その子はわたしを避け、別のグループに移動してしまいました。他に、ひとりで食べている人はいませんでした。もう既に出来上がっているグループに入れてもらおうとしましたが、その中に自分は入れてもらえず、仲間外しにされました。どのグループも、どのグループも、みんな同じことをしました。ひとりで食べたくないので、隣のクラスのMと一緒に食べていました。MもMで、自分のクラスの友達が出来ていたのですが、Mは仲間外しをせず、輪の中に入れてくれました。自分だけが違うクラスだからか、そこにも疎外感を感じました。それから二週間ほど経った後、突然Mが自分のところに来て、こう言いました。「うちの友達が、あきつさんと一緒に食べたくないって言ってるから、ごめんちゃけど自分のクラスで食べてくれる?」と。それ以来、誰にも話しかけられず、昼休みはずっとひとりで過ごすようになりました。
部活動は、美術部に入りました。本当は迷いました。入学式のとき、ビラを配っていた弓道部員の袴姿がかっこよくて、弓道部に入ることも考えました。中学校ではソフトテニス部だったので、高校でも続けようかと思いました。他にも、文芸部、インターアクト部、茶道部、演劇部、色んな部活を見学しました。でも、小学生の頃から絵を描くのが好きで、他の部活では絵を描く時間がなくなるので、部活で絵が描ける、美術部に入ることにしました。
程なくして、このクラスには、『女王様』のような存在の女子がいることを知りました。彼女の名前を出すのも腹立たしいので、ここでは『女王』と書きます。この『女王』には、取り巻きの女子が6人付いていました。他の生徒は、その『女王』にただ従うだけで、誰も彼女に異論を唱えるものはいませんでした。この『女王』が言うことは絶対だったからです。後でわかったことなのですが、この『女王』が、クラス全員に「あきつと話をするな」と言っていて、もしあきつと喋ったら、クラス全体からのバッシングを受けることになっていました。みんなそれを怯えて、無視せざるを得なかったそうです。最初は自分のクラスだけでしたが、やがて学年全体にそのは伝わりました。
それからしばらく経ったゴールデンウィーク前、二泊三日の体験合宿がありました。わたしには誰も話をする人がおらず、一緒に過ごす人もおらず、ひとりで寝ていました。席が近かったグループの人たち7人が、「マイカちゃんも一緒にやろうよ!」と、王様ゲームに誘ってくれました。それが嬉しくて、わたしも輪に交じりました。だが、これが地獄の始まりだったのです。この王様ゲームの罰ゲームと言うのが、「(校則で禁止されている)マスカラを塗る」「(当時流行っていた曲)の『あなた』の部分を担任教師の名前に変えて大声で歌う」などと言った、かなり過激なものであり、ゲームが進むにつれて、エスカレートしていきました。そして、そのうちのひとりのNという子が、こんな罰ゲームを出したのです。「1番を持っている人が、(女王)のベッドに入る」と。わたしが持っているのは3番なので、当然違います。1番を持っている子が、隣の部屋に行き、女王のベッドに寝ているのが聞こえてきました。それからしばらくして、女王が、同室のメンバー6人を引き連れて、「あきつを出せ!」と怒鳴り込んできました。女王は勿論、他のメンバーまでもが「あきつさんが(女王)ちゃんのベッドに入った」と訴えてくるのです。わたしは、何故自分が叩かれているのか、訳がわかりませんでした。それどころか、さっきまで一緒に遊んでいたはずの7人までもが、「あきつさんがやった」と、女王たちの方を擁護するのです。14人がかりで、「謝れ!」「謝れ!」と叫んでいます。「わたしはやってません!」と何度反論しても、聞いてもらえず、「謝れ!」コールを飛ばしています。仕方がなく、土下座をして謝りましたが、彼女らは笑っているだけでした。たった数時間でクラス全体に広まり、次の日には、関係のない男子にまで「(女王)のベッドに入って楽しいか?」と言われました。帰りのバスの中では、クラス全員がその話題で盛り上がっていました。あの14人のうちの大部分は、わたしが謝る部分を再現しては、大笑いしていました。担任教師もバスの中にいたのですが、それを止めようとしませんでした。わたしはひとり、寝たふりをしながら、誰にも言えず、心の中で泣き続けていました。
それ以降も、クラスぐるみでのいじめは続きました。誰ひとり話し掛けてくれないし、プリントを渡すときも避けられ、重要なプリントが自分ひとりにだけ渡されない、連絡事項が自分ひとりにだけ伝えられないこともしばしばでした。「あきつさんには誰が渡す?」と言いながら、わたしにプリントを渡す人をじゃんけんで決めていたこともありました。
当時GLAYが好きでした。本当は今でも新譜が出るたび聴いていますが、当時は。ファンクラブにも入っていたし、雑誌やテレビ番組もすべてチェックしていました。当時は部屋中がGLAYのポスターだらけで、グッズも沢山集めていました。文化祭の展示でGLAYのポスターを作成したり、同人グッズも作っていました。ノートにTAKURO×TERU(この意味、わかる人にはわかるかな?)の漫画も描いていました。
文化祭をもって三年生の先輩が引退してしまい、美術部は、わたしの他には、二年生の男子がふたりだけになってしまいました。男子がふたりの中に、女子がひとりで入っていけそうになかったこと、家が遠く、帰るのに時間が掛かることもあり、美術部には出なくなっていきました。
当時、ペンを集めるのが好きで、20本くらいペンケースに入れていました。トイレから帰ると、いつもそのうちの数本がなくなっているのです。最初は、入れているペンの数が多かったこともあり、なくなったことに気が付きませんでした。しかし、ペンの本数が減っていることに気が付くまでに、それほど日数を経ませんでした。あるとき、教室の掃除をしていると、見覚えのあるペンが捨てられていたのです。まだ書けるのに、誰が捨てたんだろう、取られる、捨てられる、壊される。
女王のグループのうちの一人が、自分のところに来て、ペンを取り上げました。「校則ではペンは3本以内になってるでしょ」と不条理なことを言うのです。勿論「ペンは3本以内」などと言った校則はありませんし、そいつらだってみんな何本もペンを持っています。ペンどころか、ノートにシールを貼ったり、スタンプを押しています。「そんな校則ないよ」と反論したら、「こいつ、逆らった」と言われました。何故、自分だけがこんな目に遭わされるのか、わかりませんでした。
GLAYの下敷きを学校に持ってきていました。あるとき、移動教室から帰ると、顔の部分にカッターナイフのようなもので傷を入れられていました。ペンやGLAYの下敷きを壊されているので、次は何を壊されるかわからず、大切なものはすべてどんなときでも持ち歩くようにしました。毎度多い荷物を持って移動教室やトイレに行く姿を見て、クラスメイトどもは全員大笑いしました。そのままにしていたら物を取る、持ち歩いたら笑う、どうすればいいのか、本気で悩みました。
こんな状況の中でも、誰かひとりでもいいから友達になりたいと思っていました。まずは挨拶からだと思い、朝登校したとき、クラスメイトとすれ違ったら、必ず「おはよう!」と挨拶をするようにしていました。しかし、誰ひとり返してくれる人はいませんでした。
うちのクラスはいつも、担任が席を外すが早いか、クラス全体がざわざわとし始めます。それは何処の学校でも一緒だと思いますが、わたしはその状況に怯えていました。あるとき、担任が席を外した途端、女王が、「あきつマジでうざいんだけど~」と言い出しました。男子や一部の女子は、それに賛同するように、「そうよね~」「俺もそう思う」「きもいんっちゃ!」「臭いんっちゃ!」などと言い始めました。それから、「絵が下手」「キモイ」「性格悪そう」などと、クラス全員から、わたしの悪口が飛び出しました。ここで担任が帰ってくればいいのですが、担任はなかなか戻ってきません。クラスメイトどもの悪口合戦は、更にヒートアップしていきます。やがて、女王が、あたしに向かって「死ね!」と言いました。それに続けて、クラスメイト全員が「死ね!」「死ね!」とコールしました。
中学校からもうひとり、この学校に行った男子がいることは、冒頭で述べましたが、この男子と言うのが曲者でした。中学二年のとき、一部の男子からいじめられていました。自殺未遂をしているところを、この男子は目撃しているのですが、何の注意もせず、他の男子と一緒に笑っていたのです。そのときのことを、彼は女王や、クラスの連中に口外していました。あのとき、クラス全員で自分に対して「死ね!」と言っていたのは、このことが原因だったのです。もう消してしまいたい過去が、彼によって暴かれ、誰も中学校の友達がいない環境で、自分を変えていくことは出来なくなってしまいました。
もう我慢が出来なくなり、担任教師に相談をしました。この担任教師というのは、当時40歳前後の、理科教師でした。教え方は丁寧でわかりやすいのですが、温厚であまり怒ることをせず、生徒たちからはかなりなめられていました。わたしも、この担任教師を信用できませんでした。しかし、誰かに言わなければ、この状況は変わらないと思ったからです。「うちのクラスにはそんなことをする人はいないよ。あきつさんの思い込みです」とだんまりされてしまいました。
誰も友達がいない、ひとりぼっちの自分は、心の拠り所が欲しくなりました。自分が大好きなGLAYや『週刊少年ジャンプ』の話が出来る友達が欲しいと思いました。新聞で文通友達を見つけ、10人ほどと文通しました。そのうちの大半は、GLAYや『ジャンプ』の話しかせず、物足りなかったのですが、ひとりだけ自分から学校の話をしてくれた人がいました。何でも話せる親友のような存在になりました。他の文通相手は半年もしないうちに切れてしまいましたが、彼女とだけは七年くらい文通を続けました。今はお互いに仕事が忙しくなったこともあり、連絡は取っていませんが、もし機会があれば会ってみたいです。
この文通に対しても、母は咎めました。「相手は誰とも知れない人なのだから、そんな人と文通なんかしないで、学校の本当の友達を見つけなさい」と言いました。学校に友達がいないから、誰も話す人がいないから、こうやって文通をしているのです。本当は、学校の友達と仲良くしたいと思っている。少しでも勇気を出して話し掛けて行こうとしている。それなのに、誰もが自分を避けるのです。
3学期になり、やっとNという友達が出来ました。Nはわたしが『封神演義』が好きで、よくイラストを描いていたことを知っていました。
二年になっても状況は変わらず
二年になり、女王とは別のクラスになりました。しかし、NやTとは同じクラスになりました。Aという、背が高くスタイルのよい美人がいたのですが、彼女もかなりわがままな性格でした。
二年のクラスは、男子が10人未満で、女子が30人以上いるクラスでした。わたしたちの学校は文系のクラスが3クラスあったのですが、その中の選抜クラスのようなものでした。
クラスメイト全員が「あきつが……」と名指しで、自分に聞こえるように暴言を吐いているのが聞こえました。「死ねよ」「あいつマジ邪魔なんちゃけど」「臭いんっちゃ!」「早く学校やめてください」「いつ辞めるの?」などと陰口を叩いているのが聞こえました。それらを直接自分に言ってくれればいいのに、それを第三者同士で言い合っているのです。
しゃべっただけで「あきつが出しゃばった」と言われました。
殆どの人が髪を結んでいませんでした。それなのに、
ノートや机には、不本意な落書きをされました。当時、『週刊少年ジャンプ』に掲載されていた『封神演義』という漫画が好きで、特に楊戩(ようぜん)が好きでした。その楊戩のイラストを部活用に描いていました。しかし、移動教室から帰ると、そのイラストをめちゃくちゃに汚されていたのです。机やノートに『SEX』『マ○コ』といった卑猥な言葉を書かれたことも多々ありました。
体育の授業は好きなグループごとでした。しかし、どのグループも自分を入れてくれませんでした。入ろうとしても、入れてくれないのです。ずっと見ているだけでしたが、体育教師はそれが気に食わないのか、「やる気のない人は授業に出なくていいから」とまで言ったのです。本当は、みんなと一緒にやりたくてしょうがないのに、誰ひとり自分を入れてくれるものはいないのです。
調理実習も同じでした。調理実習は出席番号順に班が決められていたのですが、入ろうとしても入れてくれず、ずっと見ているだけの時間を過ごしました。
文化祭のときは、一年は合唱だったので、誰がどの役割をする、というのはありませんでした。しかし、二年のクラスでは、モーニング娘。の『ハッピーサマーウェディング』という楽曲をテーマとした、ファッションショーをやることになりました。5人グループで、自分だけどのグループにも入れてもらえませんでした。
体育祭は、女子が三十人以上いるクラスだったので、どの種目にも出られない人が必ず出てしまいます。それだけならまだいいのですが、「あきつさんと一緒に出たくない」とクラスの女子全員が拒否した上に、他の漏れてしまった人は枠を増やしてでも出たのに、自分だけはどの種目にも出させてもらえませんでした。
掃除のとき、自分を含め5人グループでしたが、他の4人がサボっていて、自分ひとりだけ掃除をしました。それなのに、誰ひとり手伝ってくれないどころか、「うっわ~、あの人真面目~!」などとその4人が固まって、陰口を叩いていました。あまりにも不条理過ぎるし、みんなに注意させる意味もあって、担任に言ったら、担任にまで「あなたには協調性がない」「みんながサボっているときはサボりなさい」と言われました。この担任と言うのが、ひとりでいる人を嫌うのです。クラスメイトの誰ひとり自分を入れてくれる人がいないので、この担任に相談したら、「ひとりでいるような人はうちのクラスにはいらない」「どうぞやめてもらって構いません」などと言ったのです。普通は、クラス全員が揃って進級しましょう、揃って卒業しましょう、となるのが当たり前です。自分は、クラス全員はおろか、担任にまで避けられてしまいました。この学校には、誰ひとり味方はいない、あらためてそう思いました。
両親に何度も、「学校に行きたくない」「学校を辞めたい」と言いましたが、認めてくれませんでした。今でこそ、フリースクールがあったり、通信制や単位制の学校が増えたり、高卒認定も市民権を得つつありますが、当時は最低でも全日制高校を卒業してなんぼ。高校を中退した時点で「中卒」のレッテルを貼られ、就職や結婚の際には必ず付き纏うものでした。よほどの悪事をしない限りは、やめたくてもやめられなかったのです。学校に行かないとは言えないので、泣く泣く通う振りをしました。ひとりで本屋や図書館で時間を潰していたら、それを店員や司書に見られて、学校に戻されたことがありました。クラスメイト全員が、白い目で自分を見ながら、「何であきつさん、三時間目から来てるの?」「いっそのこと休んでてよ」などと言われました。これは流石に自分が悪いと思い、以後はきちんと朝の課外から受けるようにしましたが、本当はこれがすごく苦痛でした。
三年生になりました。クラスメイトは一部入れ替わりましたが、殆どが同じメンバーでした。やはり、男子が10人未満と少なく、女子が30人以上いるクラスでした。
体育の授業には、相変わらず誰も入れてくれませんでした。それを見た体育教師(二年のときとは別の人です)は、「あきつさんも入れてやって」と言い、あるグループに入れるようにお願いしていたのですが、そのグループの人たちは誰ひとり自分をチームのメンバーとは思わず、自分を邪魔者扱いにしました。それどころか、ミスをしたとき、大抵「あきつさんがやった」と言われたのです。
この年の文化祭は、ジブリだかディズニーだかの展示をしました。二年のとき同様、誰ひとり自分をグループに入れてくれる人はいませんでした。それ故に、何をやったかすらも覚えていません。ディズニーだったかな? ジブリだったかな? といった曖昧な記憶に繋がっていると思います。Nは「ねえ、アッキー、見てみて~!」と言いながら、GLAYのTERUさんの写真を左右に切って、わたしに見せました。
この年の体育祭は、クラスの女子全員から、「あきつさんを体育祭のメンバーから外そう」とまで言われました。ダンスの日にちも自分ひとりだけ教えてもらえなかったのに、聞いても「今日じゃないよ~」と言い張っていたくせに、「マイカはサボってばかり」というのです。結果、二年生から振り付けを教わると言う恥ずかしい思いをさせられたうえに、「マイカのせいでうちのダンスがめちゃくちゃだった」とまで言いました。全校生徒と教師どもはおろか、体育祭を見に来ていた母にまで大笑いされました。
卒業式の日まで続きました。
仲間はずし、暴言(「死ね」「学校に来るな」「邪魔」など)は日常茶飯事でした。
女王には他のクラスにも仲間がいて、そいつらもやはりクラスの女王格でした。
上記の通り、校則を守っている奴なんかひとりもいません。それなのに、こちらに対して、「カッターナイフなんか持ってきてたら危ないでしょ」(人を殺すため、ではなく、部活でスクリーントーンを削るために持ってきていた)などと文句を言っては、担任に告げ口をしたり、その道具を没収しました。
それなのに、こっちが紺色のゴムで髪を結んでいたり、無色無臭のリップクリームを塗っただけで校則違反だと騒ぎ立てる人たちばかりでした。髪を下ろすとごわごわするし、だからと言ってショートヘアは似合わないので結んでいたのです。これも、元々の校則が黒・紺・茶なので、違反ではありません。
携帯電話の持ち込みは禁止だったし、わたしは携帯を持っていませんでした。クラスメイトは全員、こっそりと隠して持って来ていて、持っていないのはわたしだけでした。おのずと公衆電話を使うしかなくなるので使っていたら、それを見た教師どもが「流行遅れ」「今時公衆電話使ってるなんてダッサ~」などと自分に聞こえるように言いました。教師だったので、逆らえませんでした。
- 「文武両道」を校訓としておきながら、部活動加入率は三割程度。
- 書道部は全国大会に出るようなレベルだが、後は全部やる気がない。「雑談同好会」と化している。
- 教師は国公立大学進学を目標にさせようとするが、そもそも特進クラスでなければ無理。
- 文化祭のステージ発表はその時々にはやった歌を歌うかファッションショーがメイン。ファッションショーに出られるのは、目立つ数人とスタイルのいい子だけ。
- 勉強も中途半端、部活もしない人が殆ど、クラスの団結力もない、やる気もない。
- 男女比は4:6なのに、何故か女子クラスがあった。教師お気に入りの女子生徒ばかりを集めたクラス。学力よりもルックス重視。
- 公立高校であるにもかかわらず、入試は金とコネが最優先。教師と繋がりがあれば、勉強しなくても、推薦入学で入れる。そのため、教師の知り合いが多い。
- 学校自体が、「社会人としての社会性よりも、国際人としての英語力」を重視しているが、常識力は小学校一年生レベル。英単語は読めても、空気は読めない。挨拶はできない。気が遣えない。言葉遣いを知らない。
- 校則はあってないようなもの、男子は全員腰パンで、裾からトランクス丸見え。うんこを漏らしたオムツにしか見えない。女子は全員ミニスカートだが、体型とつりあっていない。ミニモニ。時代の辻希美さんを、体型はそのままで身長だけ165センチにしたような感じに見える。
- 茶髪・ピアス・化粧率も高く、ルーズソックスを穿いていたり、コンバースのハイカットスニーカーやキティの健康サンダルを履いてくる奴も、教師が気に入った生徒であれば咎めない。
- 校則を守る、勉強をきちんとする、部活でいい成績を取るなどしていても、教師や女王格の生徒が気に入らなければ、それらに対していちいち咎めてくる。
- アルバイトは無断でしているが、職業系の学校が先にとっている上に、社会性や人間としての常識も備わっていないため、おのずと不採用に泣くか、援助交際に走る。
- 怒られたくないが故に、みんなこそこそしている。先生がいるところでは真面目だが、いないところではサボりまくり。
- 生徒会が最低だった。生徒会室で賭け事するわ、セックスするわ、やりたい放題。校則は自分たちで、自分たちの都合のいいように校則を変える。スカート丈は膝上OK、髪色は茶髪までOK(金髪や奇抜な色は不可)、髪は結ばなくてOK(殆どの生徒が結んでいない)、化粧OK、腰パンOK、生徒会役員とその友達なら教科書は置いて帰ってOK(置き場所を指定)、アルバイトOK、バイク・原付の免許取得OKになった。
- クラスメイトの半数は万引きを日常的にしている。
- 自分たちは教科書を置いて帰るボックスを作っているが、そうでない人に対しては徹底的に咎める。こちらが一冊でも教科書を置いて帰ったら文句を言う。勝手に教科書が捨てられていることもしばしば。
- 修学旅行も、スキーをせず、雪合戦をしたり、部屋で自分たちで遊びまわっている人が殆ど。それでもスキーを頑張りました、の単位に入る。
- 授業中に花札、賭けマージャン。歌を歌う、暴れる、うんこする奴もいた。
- 自分のクラスの女子はTバックの着用率が高い。修学旅行の時がそうだったのだが、普段のときでも恐らくそうだと思われる。スカートが短いので、尻が丸見え。足を開いた状態で地べたに座っているので、モノが丸見え。それでも気にしないが、Tバックではない普通のパンツが見えるのは恥ずかしがる。
- 帰宅部の女子は、ほぼ全員が援助交際をしている。学校内での恋愛が少なかったのは、女子の殆どが援助交際をしていたから。クラスで一番おとなしかった子が、高校卒業と同時に授かり婚をし、19歳で子を産んだパターンもある。
- 教師は「真面目に授業を受けたい人の邪魔になる!」と怒鳴ったことがあるが、そもそもそんな人がいるのなら、もっとレベルの高い進学校に行っている。
- 遠足が遠足ではない。電車通学生は自転車が無いのでバスを使うことになるが、自転車通学生は家から自転車だった。
- 体育祭のとき、騎馬戦で怪我をした人がいたが、教師の気に入らない生徒だったので、何の手助けもしない。
- そこに通ってくる生徒に目的がない。何ひとつ真剣にしたことがない。なので、書道部員と一部の国公立志望の生徒を除いては、みんな目が死んでいる。故に、勉強も中途半端、部活もアルバイトもしないので、面接で「高校生活で一番頑張ったことは何ですか?」「高校生活で一番印象に残っていることは何ですか?」などと聞かれた際に「あきつマイカちゃんをクラスの全員でまとまっていじめたことです」と答えるしかない。特に、1年の時、自分と同じクラスだった皆さんは。文化祭も体育祭もやる気がない、喧嘩するくせに、こういういじめのときだけ団結する。