龍之介の年譜を作って……
2013年06月15日 00:00
昨日から、龍之介の年譜を作成していた。
昨日は、1916年まで完成させた。
今日は、1917年からである。最初は、龍之介も、パソコンも元気だった。沢山の作品や出来事について書けていた。
しかし、年を経るごとに、龍之介が心身ともに衰えていくように、パソコンのバッテリーも少なくなっていった。
龍之介が1922年に神経衰弱を悪化させた部分で、ピーッの音とともに力尽きてしまったので、途中からはノートに書くことに。
これがすごく大変だった。手書きは嫌いだ。一度ノートに書いたものをまたパソコンに入力しなおさなければならないし、パソコンに慣れてしまったので、手で書くのが面倒に思えるようになった。
でも、パソコンに入力すると見過ごしてしまいそうなことを、手書きでゆっくりと書いていたら改めて振り返ることが出来る。
今まで2年間も研究してきて、何で知らなかったの! と思うようなことが山程あるので、案外無駄な作業ではなかったかも知れない。
『芥川龍之介辞典』に「芥川は方言を一切使わなかった」みたいなことを書いていたが、そうでもないと思った。
二回目の長崎旅行のとき、龍之介と同い年の美妓・照菊さん(龍之介は彼女を『お若さん』と呼んだ)と親しくなっているのだけど、その時に
「菅艸も咲いたばってん別れかな」
という可愛いらしい句を送っているんだよね。
因みに「ばってん」というのは、九州北部(福岡・佐賀・長崎)で使われている方言で、「~けれども」という意味である。