物のありがたみ

2013年03月28日 00:00

 

またイヤホンが壊れた。朝は普通に使えていたのに。
今使ったら、片方から音が出なくなって、プラグを差している角度を変えたら、ラジオのような聴こえになり、音が乱れる。
このイヤホン、高かったのに! 1,280円もしたんだぞ! 高いイヤホンを買っても、すぐに音が乱れる。また買い直し。
靴もそうだ。ヒールを買えばすぐにヒールが折れ、パンプスを買えばすぐに靴の裏が剥がれ、グラディエーターサンダルを買えばすぐに一部分が外れる。
スニーカーは比較的持ちがいいが、持ちがいいというよりは、ただ単に履かないからかも知れない。
とにかく、靴が壊れるたびに、また新しいものを補充して、そのたびに買い直している。
学生の頃はすぐに物に飽きて、筆箱でもペンでもわざとに壊したりしていた。そのたびに新しいものが買えるのが楽しみだった。
だが、今は壊れるとつらい。それなのに、靴でもイヤホンでも勝手に壊れてくれて、月一回は買わなければならない。新しいものを買える喜びよりも、古いものが壊れてしまったショックの方が大きいのである。
それはどうしてか。自分が年をとって、単に新しいもの好きではなくなったからかも知れない。
でも、一番の理由は、自分で稼いで、少ない給料でやりくりするようになっていることだと思う。
学生の頃は殆ど親に買ってもらっていた。だから、もののありがたみなど知らなかった。
でも、今は買ってと言っても買ってくれない。よしんば給料日前などになって急に欲しくなったとき、ねだろうものなら、
仕事して給料もらってるんでしょ、だったらその給料でやりくりしなさいよ、そう言われるだけである。
学校を卒業して、実際自分でお金を稼ぐようになって、はじめてわかる物のありがたみ。
改めて、それを痛感した。