嫌いな近代作家と好きな現代作家

2013年01月30日 00:00
ファンの人には申し訳ない話だが、あたしは徳田秋声という作家が嫌いである。
島崎藤村が龍之介と仲が悪かった、龍之介の作品を批判していた、
龍之介も藤村を嫌っていて、晩年のアフォリズムの中で何度か、藤村の作品を批判しているのは、文学ファンの間では結構有名な話だ。
だが、秋声については殆ど書かれていない。
自分は、秋声こそ龍之介の敵だったのではないのかと思っている。
秋声は、『点鬼簿』を批判した。
この『点鬼簿』は、龍之介が死の前年に書いたもので、既に亡くなっている両親と長姉について書かれたものである。
龍之介は既に、心身を病んでいた。不眠症に苦しみ、薬を食べながら生きているような状態だった。
プロレタリア文壇からは「ブルジョワ作家」と批判され、自分の思うようにも書けなくなっていた。
家庭内での煩雑な出来事も立て続けに起こった。
それでも、書かなければならない。
そのような苦しみの中で、額から汗を流しながら書いたのが『点鬼簿』である。
それを秋声は、龍之介がどういう思いで書いたのか、その事情など知らぬくせに、頭ごなしに批判した。
龍之介が『現代文学全集』の編纂に関わった件についても、
「芥川は印税で大きな書斎をこしらえた」
などとデマを流していた。それが、文壇の大御所がすることか!
なんか、もう、なさけないね。
龍之介に対してだけではない。
 
泉鏡花は徳田秋声と同郷で、ともに尾崎紅葉の門下であった。
鏡花は生涯、尾崎紅葉のことを師と尊敬していたが、その鏡花の態度も気持ち悪がっていたらしい。
何故なら、師のことも尊敬しなかったから。
師を裏切るわ、仲間を裏切るわ、大御所でありながら後輩を死ぬまでいじめるわ、
人間として最低レベルなんだろうな、こいつ。
何処の世界でも、こんな人ほどトップに立っていて、自分のことだけ考えているんだろうな。
 
 
ここ二年くらい、芥川龍之介を中心に、戦前活躍した文壇の作品ばかりを読んでいたが、
やっと現代の人で、好きな作家が見つかった。
それは、『湊かなえ』先生である。
以前、『少女』と『告白』を読んで、面白かったので、『夜行観覧車』も買って
読んでいるところだ。
作品は読みやすい。描写もしっかりしている。だが、ただ文章だけでないような気がする。
昨今の作品は、どれも、顔や性格の美しいものばかりが出てきて、
「現実」ではなく「理想」を描いているので、何処か感情移入できない。
これが太宰治であれば、ありのままの人間を描いていて、
「苦しんでいるのはキミだけじゃないんだよ」と言わんばかりに励ましてくれそうだが、
現代の作家の作品の多くは、やけに綺麗・ぶりっ子した人物ばかりで、
「まあ、頑張って」とまるで他人事だったりしている、というのもある。
ところが、湊先生の作品は、人間の醜さ、自己中心的なところを描いている。
通俗小説ではあるのだけれど、キャラクターの設定が込んでいるし、
心理表現が純文学っぽくて、奥深い。表現も堅苦しくなくて、学生のキャラは学生らしい
フランクな言葉遣いなので、かえって読む側に伝わりやすい。
まだ180ページしか読んでいないので、帰ってから残りを読む予定だ。