何が心の支えなのか

2013年03月31日 00:00
前略プロフィールで、『芥川龍之介』『萩原朔太郎』を検索したら、結構ヴィジュアル系好きな人が多かった。
ヴィジュアル系でなければ、バンプ、マキシマムザホルモン、椎名林檎など。いずれにせよ万人受けしないロックを好んでいる人が多かった。
やはり、文豪とロックは通じるものがあるのだろう。
芥川龍之介は、B'zやミスチルと言った売れ線のロックが似合う。良くも悪くも常識人。
作品や人物像は、確かにロックだ。反骨精神も持っていて、世間を斜めから見ている。そして何よりも攻撃的だ。だが、それも常識の範囲内だし、裸になったり、暴れたりまでは出来ない。「売れなくてもいいから自分たちのやりたいことをやる」他の文人と違い、「売れるために路線変更」している。そのためか、国民的な人気を保っている。
でも、萩原朔太郎や無頼派の面々は、ヴィジュアル系や、アングラなロックである。
常識を蹴破って、社会に対する不満や、陰鬱な内情などを表現する。何もかもをかなぐり捨てて、裸になって大暴れし、自分たちのやりたいことを大いにやってのけている。その為、作品は万人受けしない。一般ピープルから見れば、「キモイ」「暗い」と思われる。だけど、心の闇を持つ若者にとっては、お笑い番組を観ても、AKBの前向きな歌詞を聴いても、スポーツ選手が頑張っている姿を見ても、心は満たされない。「あたしは、俺は、こんなに頑張っているのに」と帰って欝になるだけ。だが、朔太郎や無頼派の作品も、アングラなロックも、決して見捨てない。表現は不器用でも、素直さはなくとも、心の闇を持つ若者たちと呼応し合っている。
実を言うと、自分も流行の曲や娯楽などにはここ十年間殆ど興味がなく、あらゆるロックに、或いは文豪の作品に、自分の心の拠り所を求めていた。その状況と似ていると思っていたから、今回このようなことを書いた。
 
元はお笑い芸人が好きで、高校生の頃から様々な芸人を追いかけてきた。
でも、二年ほど前から、心が満たされなくなった。
今でもお笑いや芸人は好きだ。時々Twitterに芸人の話題を書くことがある。
でも、どの番組を見ても、以前ほど笑えないし、何となくつまらない。
純粋なお笑い番組が減り、クイズやゲームの番組が増えた。
芸人の出番は一部を除いて減り、48系のメンバー、おバカアイドル、子役、オネエ系などの出番ばかりが増えた。それらの番組は、大抵出演者同士が笑い合っている。けれども、こちらには何ひとつその面白さが伝わってこない。
例えて言うなら、友達になりたくて話しかけたけど、
「うちらだけの秘密~。あきつさんには教えないよぉ~」
そう言われているように思えて、かえって悲しくなるのである。
そんな番組を見ているよりも、文豪の作品を読んでいる方が、自分にとっては心の支えになる。共感できる。
「苦しんでるのはキミだけじゃないんだよ」と励ましてくれるように思える。
時に、「マイカちゃんの苦しみなんかちっぽけだよ」と言われているような気分になる。
時に笑わせてくれる。時に思いっきり泣かせてくれる。
 
【追記】
上記で、「AKBの曲は明るく前向き」と書いたが、AKBだって、やはり心の満たされない人たちを元気付けるものだと思う。
今でこそ小中学生にもファン層が広がったAKBだが、元々のファンの殆どはアキバ系のヲタクだし、メンバー自身も学生時代は暗くて、おとなしかったという人が多い。それでも自分の殻に閉じこもろうとせず、自分を変えようと努力して、垢抜けていく。そんな女の子たちの成長が評価されているし、男たちも元気付けられて、精神的に垢抜けていくのではないだろうか。
所謂「AKB商法」や、どんなジャンルにも手を出す姑息さは嫌いだが、これまでのアイドルになかった(ピンクレディーしかり、聖子さんしかり、全盛期モー娘。しかり、元々がクラスの人気者であった人が多かった)、女の子たちの自己啓発には感心する。
 
【追記の追記】
現CanCamモデルの久住小春さんが、「モーニング娘。はモデル活動をするための踏み台」と言ったらしい。
モー娘。だけでなく、何でもそうだと思う。モデルや歌手志望は、そのままデビューしても話題性にかけるから、モーニング娘。やAKBを踏み台にしている。近年デビューしたメジャー志望の野球選手たちが、日本のプロ野球を踏み台にしているのに似ていると思う。本当にそこのメンバーと一緒に歌いたいのに、日本の球団でプレイしたいのに、それらが叶わない人たちは山程いる。しかし、悲しきかな、その夢を叶えた人たちにとっては、次のステップへの踏み台でしかない。これが現実である。「夢を叶える為のプロジェクト」の真意が問われている時なのではないだろうか。